~ 安政(安静)の
眠りを覚ます
蒸気船(上喜撰)
たった四隻(杯)で
夜も眠れず ~
泰平の 眠りを覚ます 上喜撰
たった四杯で 夜も眠れず

大河ドラマ【青天を衝け】第三話は、栄一が父の勧めで初めて江戸へお供する場面が出て来るようですが、同時に海上では、あの黒船が近づいて来る様子が放送されました!
予告で、ペリー提督を見た時…『ん??この人どこかで見た事ある!と思いながら、しばらく考え…驚きました!朝の番組で、コメンテーターとして出ているモーリー・ロバートソンさんでしたから!!
いつも分かりやすいコメントで話され、難しい質問にも的確に答えられる様子を見て、いっぺんにファンになりました!クイズ番組でも、正解すれば面白い顔をしたりして…チャーミングで天才のモーリーさん、ホント素敵です!
しかし、大河ドラマでの役柄はでは…?
ペリー提督の写真にそっくり!と早速話題となったモーリーさん♪
演技力はいかなるもか?楽しみです♥
#モーリーロバートソン さん襲来☺️
そのうちスッキリでイジられそう😚#青天を衝け pic.twitter.com/5jtLClE11Z— 🐶shi.ho💕🐰 (@shihorin0321) February 21, 2021
幕末に作られた狂歌
1853年(嘉英6年)、ペリー提督が
アメリカ合衆国の巨大な黒船4隻を
率いて、突如日本に来航
この時の、日本人の驚き様は言葉に
ならない程のものだったと言われて
います。
そんな事から誕生した狂歌が
【泰平の 眠りを覚ます 上喜撰
たった四杯で 夜も眠れず】という
ものでした。
そして
動揺し、うろたえる幕府の様子を
表し、皮肉って作った歌が
【泰平の 眠りを覚ます 蒸気船
たった四隻(はい)で 夜も眠れず】
と言うもの
ガイドの仕事で、この狂歌を覚えた頃、確か?【泰平の~】のところは、【安政の~】だった気が?
安政年間に入った年に、黒船が来航した事から、【安政】と【安静】をかけていた…と言う記憶があり…?
間違えだったら、ごめんなちゃい…😭
そもそも、上喜撰(じょうきせん)
とは、お茶のブランド名の事
※時々、お茶の袋に書いてますよね♪
コーヒーや、紅茶などと共に
濃い緑茶には、目を覚まさせる…
逆に言えば、眠れなくなる成分が
多く含まれると言われています。
この上喜撰は、お茶の中でも上級もの
従って、たくさん飲むと眠れない…
と、重ねているんですネ。
いずれにしても、突然現れた巨大な
黒船を見た当時の日本人は、只々驚く
ばかり
その数、ほんの4隻であっても不安で
不安で‥眠れなかったのでしょう
その頃の栄一 ~
初めての江戸に大興奮!
栄一の家業は、藍染めの元となる
藍玉つくりと、養蚕でしたが
養蚕については、当時としては結構
他県でも作られており
養蚕業として、発展していた地方は
お隣、信州もその一つでした。
ドラマは、上州(群馬県)で始まり、群馬と言えば、後のに出て来るかもしれない??【国宝】富岡製糸工場が養蚕で有名ですね。
さらに渋沢栄一の年上の従兄であり、読み書きや、剣術を教えている尾高惇忠(じゅんちゅう)は、ここの、初代工場長となっています。
信州では、諏訪湖畔に広がる岡谷市が、生糸生産の会社が多くあった所で、松本市出身の作家、山本茂美氏の代表作、【あぁ、野麦峠】が映画や舞台で知られています。12~18歳の工女が飛騨から出稼ぎに来る女工哀話として、信州の生糸生産を支えた話は歴史に残るものとして有名です。
ベテラン女優、大竹しのぶさんが、まだデビュー間もない頃に、主人公【政井みね】を演じており、兄【辰二郎】を、(故)地井武男さんが演じています。
いい映画ですよ…本当に…(泣)
※私も、観光バスでこの野麦街道(国道158)を通るたびに、【あぁ、野麦峠】をセリフや歌を交え、よく話したものでした。(お客様も、必ず涙を流していました…うんっ😭)
ドラマでは、藍玉を売り出すため
父の提案で、初めて江戸に連れて行っ
て貰える事となった栄一
初めて見る江戸の姿に、とんでもなく
驚き、感動し、はしゃぐ姿に
商売の楽しさを見つけた様子が
よく伝わってきました
ですが
時代が、時代・・・
この先、日本はどの様な運命を背負う
事になるのか?日本を揺るがす脅威が
そこまで来ている事に、全く気が付く
はずのない栄一でした。
13歳?~現代の中学一年生から営業??
ドラマの中の栄一は、何歳の設定か
わかりませんが
実際は、一人で商売に出かけたのは
13歳の頃~となっています。
今なら、中学一年生…ホント、感心
しきりです^^;
将来、商売の神とまで言われるほどの
才能を身に着ける事が出来たのは
父、市郎右衛門からのDNAを受け継
いでいる事も当然でしょうが
元々、天性と言うものを持ちながら
この世に誕生した渋沢栄一にとっては
当然のだったのでしょう
早くから、商売のノウハウを覚え、
そのチャンスに恵まれた環境が
約160年後、歴史の教科書に載り
更にドラマで世に知られる人材となっ
たと思うのですが
ホント人の運命ってわからないもの
ですネ~♪
渋沢栄一って
ホント!すご~イ!!
鎖国を続ける日本~
開国と通商を求めるアメリカ
幕末、江戸時代の終わり…などと
よく言いますが…ほんの160年程しか
経っていない時代の話だと思うと
本当に驚きます!
2021年現在、80歳代の方からは、
ひィお爺さん、お婆さんの時代の話
決して、遠い昔の出来事ではないん
ですからね~
そう思うと、現代日本の姿になるまで
ホント、急速に時代の変化が進んだの
ですね(゚д゚)!
何はともあれ
突然やって来た~黒船~
この時は、まだまだ栄一が関与する事
は、先になるわけですが…
日本初ではなかった
ペリーの黒船~
1853年(嘉永6年)ペリー提督率いる
黒船4隻が日本に来た場所は神奈川
県の浦賀…
現在、横須賀市の一部であり周辺は
軍港都市となった観光地として異色ム
ードが漂うおしゃれな街ですが
当時は、寂しい一寒村で、家の戸数も
100件程しかない場所でした。
横須賀と言えば、スカジャン(横須賀ジャンパー)※ネイビーバーガー、(NAVY=海軍)、遊覧船【yokosuka軍港巡り】
横須賀軍艦カレーなど、知っている人も多いと思います(*^^)v
明治になってから、軍港都市となり、日露戦争時で、連合艦隊の司令長官東郷平八郎が率いた旗艦【三笠】が保存されている三笠公園も有名です♪
船内の見学も出来たり、軍港巡りを楽しんだり…
普段はなかなか見られない海の様子を、身近で感じる事が出来る魅力ある場所ですネ♪
ペリーの黒船来航はこの時が初めてで
はなく、その7年ほど前に一度、別の
アメリカ軍人が黒船2隻で来航してい
ました。
ペリー同様、日本に開港を求めて来た
のですが、当然の如く幕府は開港など
断固として受け入れなかったため、
その時は
あっさりと諦めて帰って行ったと
言う前歴があったのです。
ペリー来航の時も、一時は動揺した
でしょうが、どこかで再びあっさり
帰ると思っていたらしく
これが、後々後悔する事になった
のでしょう
話はまとらず、一年後、再来する
事となります
結局、アメリカそのものの大きさ
あらゆることに対する力も叶わないと
悟ったため
翌年には、素直に望みを受け入れ
日米和親条約(神奈川条約)締結がなさ
れたのです。
その後の、下田条約、二年後の安政6
年(1856年)五か国通商条約などが
締結され
函館や、横浜港が開かれ国際貿易港と
なって
多くの外国人や、日本人が往来する
賑やかな国へと変化して行きました。
まとめ
大河ドラマ【青天を衝け】第2話
まだまだ経験浅い、若き栄一の姿を
表しています。
正直、渋沢栄一とは、どの様な人物
で何をした人なのか?最近まであまり
世間に知られていなかったのですが
これから、歴史に名を残す様々な経験
をして
さらに、どんな事に出会い挑戦して
行くのか?
渋沢栄一の詳細をドラマを見ながら
知る事が、わたくし、ホント楽しみです~!
出は今回は、この辺で!
有難うございましたァ!
(^^)/~~~