guide-sanguide-san

毎週、あっという間に終わっ
てしまう大河ドラマ
【青天を衝け】
次のシーンはどんなものか?
面白さと、期待がどんどん強
まって行くから早く感じるの
でしょうか(>_<)

さて、今回は
栄一の師であり、従兄である
尾高惇忠富岡製糸場
について
少し掘り下げて、お話したいと思います♪

渋沢栄一の従兄・尾高惇忠について

幕末、1830年(文政13)に生まれた
尾高惇忠(じゅんちゅう)

ドラマでは、田辺誠一さんが演じてい
ますね♪

優しく頼りになる博学者のイメージが
伝わってくるそんな俳優さんです


ところで、尾高惇忠について色々調べ
てみると

農家に生まれ乍ら、幼い時から多くの
本を読んでいたため、博識であり

さらに、剣術も得意であったと言う事
から

周りの子供たちに、学校の先生同様
様々な事を教えていた人物…と出て
います。

さらに、

明治維新後は、近代国家への第一歩
養蚕の機械工場化として建設された
富岡製糸場の初代工場長となった人

正直…

尾高惇忠について、今まではどんな
人物であるのか?殆ど知らなかった
のですが…^^;

栄一が幼い頃から、勉学、剣術
更に、未来の日本のあり方を教えて
来た尾高惇忠

以後、歴史に残る偉大な実業家
渋沢栄一を世に誕生させた重要な
人物だったんですね~♪

日本三大【官営模範工場】
【富岡製糸場】の歴史と詳細

明治維新後、新政府がこれからの
日本の形を作るため、打ち出した
とされる政策は

大量生産可能とする機械化された
工場の建設でした

それらは、お金絹糸であり
その一環で、明治5年
富岡製糸場が誕生したのです!

プチ情報♪

日本三大模範工場とは、福岡県北九州市にある【八幡製鉄所】、【造幣局】、【富岡製糸場】のこと。

昔から故郷が、養蚕が盛んだった事や
それに関する様々な事を熟知している
事などから

栄一は、従兄であり、我が師であり
一番気の知れた、尾高惇忠をここの
責任者として委ねたのですね(^^♪

富岡製糸場建設の地について

【富岡製糸場】が建設された場所は
江戸時代、加賀藩の支藩(七日市藩)
の陣屋が置かれていた所でした

プチ情報♪

七日市藩のあった場所は、1616年(元和二年)、加賀(石川県)百万石を収めていた【前田利家】の五男【利孝】が、1万石を持って入り収めたところ。
以降、七日市藩【前田家】は、12代、250年余り、明治維新まで続いたのであります!

※【旧国名】は、上野(こうづけ)の国、甘楽(かんら)郡、七日市(なのかいち)
【現在】群馬県富岡市

ちなみに、上信越自動車道には、今も甘楽(かんら)パーキングエリアがありますが、(甘楽)は、
【旧国名】だったんだ!と、今更思った私です…
バスガイド…失格^^;

今までになかった建設技術!
木骨(もっこつ)煉瓦造りとは??

江戸時代の終わりから、急激に新らい
時代となった時

当然ながら、何をするにも当時の人々
は、苦労なくして事を進める事は出来
なかった事でしょう

【富岡製糸場】建設も、その一つ

フランスの機械技術者からの操糸法や
煉瓦での建て方など、様々な指導を
受けたとの事ですが…

何せ、煉瓦など知らない当時の職人は
瓦職人に任せ作らせたため

その形一つ一つが正確ではない、歪
(いびつ)な型をしたものばかりだっ
たとか?

この様に、木の骨組みとレンガ壁で
出来た建設法を【木骨煉瓦造り】
言うのであります!(゚д゚)!

しかしながら
よく、地元で集めた材料だけで、あの
素晴らしい耐久性に優れた建物を造っ
たもんだ~!!

ちなみに

レンガに、自分のサイン??を刻み込
んでるものもあり

やる事は今も昔も同じ?と
ちょっと笑えました♪
お城の礎に刻んだ大名の名前の様で(^^♪
歪な形といたずらサイン?のレンガ

館内説明は、やっぱり専門ガイドさん?

富岡製糸場に行くと、専門のガイド
さんが約40分間、館内を説明して下さ
います♪
(確か予約制だったような?)

やはり、専門ガイドさんの説明は面白
いですね♪
細かな所まで、教えてくれるので

※ガイドさんと同じ説明が聞ける音声
ガイド(5か国対応)もあり♪

プチ情報♪

広大な面積の、操糸場の中は、昭和62年まで実際に使われていた機械がずらりと並んでいます。
私も仕事で行ったとき、見学させてもらったのですが…丁寧にビニールカバーがかけられている中
よ~く見ると、繭玉の残りを発見したり、機会に付いた繭玉の毛?などが絡んでいて、とてもリアル感が伝わりました♪

建設当時は、まだ電気があまりない時代。そのため、夕方になると早めに仕事が出来なくなる…との事で、大きな窓が一面に作られてる設計にも、当時のアイデアの凄さに感動しました!

この様に誕生した富岡製糸場ですが
以後
ここで技術を習得した女性達が全国
に広がり

それを伝え、日本各地に機会による
製糸業が拡散して行ったのです♪

全国の製糸場~待遇の差とは?

富岡製糸場は、日本で初めて西洋式
機械を導入し、生糸を大量生産した
工場でしたが

ここで働く工女は、どの様な待遇で
あったのでしょうか?

恵まれた環境で働けた、富岡工女

幕末から、新時代を迎えたばかりで
あっても、ここ富岡製糸場で働く
工女たちは、今の時代にもある様な

1日8時間労働で、日曜休みもあり
給料にしても、現代の様な能力給が
採用されており、働きやすい恵まれ
た環境でした

殆どの女性が、武家の出身者と言う
家庭でも恵まれた環境の者が多くおり

信州の【女工哀話】にある、貧しく
家を助ける為、幼くして出稼ぎに出た
話とは全く真逆な環境であったのです

信州の【女工哀話】…山本茂美 作
映画【あぁ、野麦峠】
主演…政井みね(大竹しのぶ)
政井辰二郎(地井武男)

まとめ

今回は、世界遺産富岡製糸場の詳細と

その、初代工場長となった栄一の従兄
【尾高惇忠】についてご紹介させて
いただきました♪

それでは、また!
有難うございました~(^^)/~~~