
毎週、あっという間に終わっ
てしまう大河ドラマ
【青天を衝け】
次のシーンはどんなものか?
面白さと、期待がどんどん強
まって行くから早く感じるの
でしょうか(>_<)
さて、今回は
栄一の師であり、従兄である
尾高惇忠と富岡製糸場
について
少し掘り下げて、お話したいと思います♪
渋沢栄一の従兄・尾高惇忠について
幕末、1830年(文政13)に生まれた
尾高惇忠(じゅんちゅう)
ドラマでは、田辺誠一さんが演じてい
ますね♪
優しく頼りになる博学者のイメージが
伝わってくるそんな俳優さんです♡
RT @nhk_seiten <#青天を衝け 登場人物紹介>
栄一の従兄#尾高惇忠/新五郎(#田辺誠一)
下手計(しもてばか)村にある尾高家の長男。従弟である栄一や喜作に学問や剣術を教える。栄一らに大きな影響を与えた。明治維新後は富岡製糸場の初代場長となり、栄一を支える。 pic.twitter.com/y5YB2ey7Sv— 田辺誠一 (@tanabe1969) December 18, 2020
ところで、尾高惇忠について色々調べ
てみると
農家に生まれ乍ら、幼い時から多くの
本を読んでいたため、博識であり
さらに、剣術も得意であったと言う事
から
周りの子供たちに、学校の先生同様
様々な事を教えていた人物…と出て
います。
さらに、
明治維新後は、近代国家への第一歩
養蚕の機械工場化として建設された
富岡製糸場の初代工場長となった人
正直…
尾高惇忠について、今まではどんな
人物であるのか?殆ど知らなかった
のですが…^^;
栄一が幼い頃から、勉学、剣術
更に、未来の日本のあり方を教えて
来た尾高惇忠は
以後、歴史に残る偉大な実業家
渋沢栄一を世に誕生させた重要な
人物だったんですね~♪
日本三大【官営模範工場】
【富岡製糸場】の歴史と詳細
明治維新後、新政府がこれからの
日本の形を作るため、打ち出した
とされる政策は
大量生産可能とする機械化された
工場の建設でした
それらは、鉄、お金、絹糸であり
その一環で、明治5年
富岡製糸場が誕生したのです!
日本三大模範工場とは、福岡県北九州市にある【八幡製鉄所】、【造幣局】、【富岡製糸場】のこと。
昔から故郷が、養蚕が盛んだった事や
それに関する様々な事を熟知している
事などから
栄一は、従兄であり、我が師であり
一番気の知れた、尾高惇忠をここの
責任者として委ねたのですね(^^♪
富岡製糸場建設の地について
【富岡製糸場】が建設された場所は
江戸時代、加賀藩の支藩(七日市藩)
の陣屋が置かれていた所でした
七日市藩のあった場所は、1616年(元和二年)、加賀(石川県)百万石を収めていた【前田利家】の五男【利孝】が、1万石を持って入り収めたところ。
以降、七日市藩【前田家】は、12代、250年余り、明治維新まで続いたのであります!
※【旧国名】は、上野(こうづけ)の国、甘楽(かんら)郡、七日市(なのかいち)
【現在】群馬県富岡市
ちなみに、上信越自動車道には、今も甘楽(かんら)パーキングエリアがありますが、(甘楽)は、
【旧国名】だったんだ!と、今更思った私です…
バスガイド…失格^^;
今までになかった建設技術!
木骨(もっこつ)煉瓦造りとは??
江戸時代の終わりから、急激に新らい
時代となった時
当然ながら、何をするにも当時の人々
は、苦労なくして事を進める事は出来
なかった事でしょう
【富岡製糸場】建設も、その一つ
フランスの機械技術者からの操糸法や
煉瓦での建て方など、様々な指導を
受けたとの事ですが…
何せ、煉瓦など知らない当時の職人は
瓦職人に任せ作らせたため
その形一つ一つが正確ではない、歪
(いびつ)な型をしたものばかりだっ
たとか?
この様に、木の骨組みとレンガ壁で
出来た建設法を【木骨煉瓦造り】と
言うのであります!(゚д゚)!
しかしながら
よく、地元で集めた材料だけで、あの
素晴らしい耐久性に優れた建物を造っ
たもんだ~!!
ちなみに
レンガに、自分のサイン??を刻み込
んでるものもあり
やる事は今も昔も同じ?と
ちょっと笑えました♪
お城の礎に刻んだ大名の名前の様で(^^♪
歪な形といたずらサイン?のレンガ
館内説明は、やっぱり専門ガイドさん?
富岡製糸場に行くと、専門のガイド
さんが約40分間、館内を説明して下さ
います♪
(確か予約制だったような?)
やはり、専門ガイドさんの説明は面白
いですね♪
細かな所まで、教えてくれるので♥
※ガイドさんと同じ説明が聞ける音声
ガイド(5か国対応)もあり♪
広大な面積の、操糸場の中は、昭和62年まで実際に使われていた機械がずらりと並んでいます。
私も仕事で行ったとき、見学させてもらったのですが…丁寧にビニールカバーがかけられている中
よ~く見ると、繭玉の残りを発見したり、機会に付いた繭玉の毛?などが絡んでいて、とてもリアル感が伝わりました♪
建設当時は、まだ電気があまりない時代。そのため、夕方になると早めに仕事が出来なくなる…との事で、大きな窓が一面に作られてる設計にも、当時のアイデアの凄さに感動しました!
この様に誕生した富岡製糸場ですが
以後
ここで技術を習得した女性達が全国
に広がり
それを伝え、日本各地に機会による
製糸業が拡散して行ったのです♪
全国の製糸場~待遇の差とは?
富岡製糸場は、日本で初めて西洋式
機械を導入し、生糸を大量生産した
工場でしたが
ここで働く工女は、どの様な待遇で
あったのでしょうか?
恵まれた環境で働けた、富岡工女
幕末から、新時代を迎えたばかりで
あっても、ここ富岡製糸場で働く
工女たちは、今の時代にもある様な
1日8時間労働で、日曜休みもあり
給料にしても、現代の様な能力給が
採用されており、働きやすい恵まれ
た環境でした
殆どの女性が、武家の出身者と言う
家庭でも恵まれた環境の者が多くおり
信州の【女工哀話】にある、貧しく
家を助ける為、幼くして出稼ぎに出た
話とは全く真逆な環境であったのです
※信州の【女工哀話】…山本茂美 作
映画【あぁ、野麦峠】
主演…政井みね(大竹しのぶ)
政井辰二郎(地井武男)
まとめ
今回は、世界遺産富岡製糸場の詳細と
その、初代工場長となった栄一の従兄
【尾高惇忠】についてご紹介させて
いただきました♪
それでは、また!
有難うございました~(^^)/~~~