大河ドラマ2022
~【鎌倉殿の13人】~

2022年大河ドラマ
鎌倉殿の13人は面白かったぁ‼
平安時代や鎌倉時代って何かと複雑で
難しいと感じるのですが…
脚本は、コミカルな表現が得意な?
三谷幸喜さん♪
【真田丸】以来、再び面白い内容に
構成されているたからでしょう♪
こちらのブログでは、
大河ドラマ【鎌倉殿の13人】ゆかりの
【韮山】(にらやま)周辺の情報を
改めてご紹介ています♪
860年前の大河ドラマ
主役は【北条義時】
源氏と平家…と言えば、やはり
源平合戦が歴史上、有名な話ですが
それらを題材としたドラマは、これ迄
結構放送されて来ました♪
ですが、
2022年の大河ドラマ【鎌倉殿の13人】は
歴代のドラマとは少し違った目線から
見たお話になっていて
そんな点も、三谷さんらしい作品だと
思いました(^^♪
北条家の一員を主役とする今回
の大河ドラマは、頼朝の妻であり後に
尼将軍と言われた北条政子の弟である
が主役!
歴史は好きな私ですが、
この については、あまり
深くは知らなくて…😝
言い訳の様ですがぁ‥
この時代の話って、とにかく複雑で
人物一人一人の名前が似ていたり
その繋がりも複雑であったりで…
なかなか頭に入りません‼
北条義時は何をした人?
ドラマでは、小栗旬さんが演じる主役の
頼朝の妻である北条政子の弟であり
北条氏、初代執権を握った時政の二男で
源頼朝の死後、姉の政子と共に活躍し
事実上、鎌倉幕府の2代目執権を握った
とされる人物でした
歴史書では、62歳で亡くなっていますが
小栗さんの…いぇ、 の変化が
毎回楽しみでした♪
ドラマのロケ地、伊豆の国市
ところで
今回の大河ドラマで協力ロケ地の一つ
となっている場所は
静岡県 伊豆の国市(いずのくにし)
※2005年(平成17年)合併
人口約4万6千人(2022現在)
この伊豆の国市ってどのあたりに
あるのか?
何が有名なのか?気になる方も多い
のでは?
2005年に誕生した
NEW city!
私がバスガイドの仕事で何度か訪れた
伊豆半島は
ざっくりと言えば
東伊豆、西伊豆、南伊豆、中伊豆と
呼び、それぞれの特徴を味わえる
人気の観光地です♪
大海原が広がる
東伊豆、西伊豆、南伊豆周辺には
海の眺めを満喫できる人気の温泉地が
点在し♨
中伊豆には、歴史的に有名な場所が
数多く残り
山と川に囲まれた静かな古(いにしえ)
の伊豆を堪能できる所♪
沢山の観光客に大変な人気です♥
その伊豆の中心部に集まる
韮山町(にらやま)
大仁町(おおひと)
伊豆長岡町(いずながおか)
この三つの町が合併して誕生したのが
伊豆の国市(いずのくにし)なので
あります!!
旧名時代のアレコレ
~韮山 編
ドラマでも、度々出てくる地名である
韮山(にらやま)は
伊豆一番と言う歴史の宝庫
北条家の出身地であり、源氏に関わる
多くの史跡が残る場所なんです♪
北条政子誕生の地
1157年(保元2年)、北条政子は誕生
いたしました
狩野川と父、時政の墓がある願成就院
近くに
政子が生まれた時に水を汲み上げたと
伝わる
【北条政子産湯の井戸】が残っており
当時は、安産の霊水と言われ、妊産婦にも
飲ませていた…とのこと。
現在は、苔むした寂しい枯れ井戸となって
いますが
それこそ、時代の流れを象徴しています‥
武家政治発祥の地~(蛭が小島)
1160年【平治の乱】で敗れたあと
14歳だった頼朝が流された地
現在は、整備された公園の様になって
いますが、私が観光バスで訪ねた頃は
蛭が小島(跡)の碑だけが畑に寂しく
建っていた様な…?
いずれにしても
かつては狩野川(かのがわ)が幅広く
流れ、中洲のようになっていた場所で
頼朝は20年も流人生活を送っていた(;O;)
とは、ねぇ…(;O;)
~ イメージ ~
ちなみに、蛭が小島の名前の由来は
蛭(ヒル)と言う、田んぼや湿気の多い場所に生息する吸血昆虫が多くいた事から
その名が付いたと?
噛まれるとすっごい血が出るのが痛々しィ~‼(>_<)
毘沙門堂(びしゃもんどう)
の守護神となる毘沙門天を祀るお堂
こちらは、頼朝と同じ都から流されて
来たと言う【文覚(もんがく)上人】
が修行したと言われています
ドラマでは、
第5回放送分で、何やら汚い僧が首から
『義朝の首』と称して
シャレコウベ(頭蓋骨)をぶら下げて登場
していましたけど…(>_<)
実は、
源氏再興を促した重要人物!と
されるお坊さんだったとか‼
願成就院 (がんじょうじゅいん)
1189年、頼朝の義理の父にあたる
北条時政(政子の父)が奥州藤原氏を
攻め込む頼朝の成功を祈り建立した寺
頼朝は見事藤原氏を倒し時政の願いは
成就されたのですが、鎌倉幕府滅亡後
衰退していったのでした…
後の発掘調査によって国の史跡に指定
願成就院には時政のお墓も残されて
いますヨ!
韮山の反射炉
~明治日本産業革命遺産
観光名所として有名な
韮山の反射炉
完全な形として残り、また実際に稼働
したものとしては、唯一と言われる
貴重な建造物です
※1857年着工 高さ約16m
※反射炉とは、鉄の鉱石から鉄のみを
取り出すための溶鉱炉の事で、大砲や
鉄砲を作っていました
設計したのは、韮山出身の幕末の代官
江川太郎左衛門
この
本名は英龍(ひでたつ)と言います♪
ちなみに
歴史上で有名な江川太郎左衛門は第36代目で
何と、この江川家は平安時代から38代続いて明治を迎えている凄いルーツを持つ家系なんですよ~!
★江川太郎左衛門の詳細は、後述…
ところで、
何故この地に反射炉が建設されたのか?
1853年に来航したペリー提督率いる黒船の話は有名ですが、その出来事がきっかけで、当時の日本は恐怖に怯えていました。
江戸湾の入り口を守る責任者として任命されていた江川太郎左衛門は、【反射炉建設】を命令されたのですが、建設中、ペリーの船員たちに見つかりそうだったため、急遽、故郷韮山の地に移設した‥とあるのです…大変な作業だっただろうに~(>_<)
※ペリー来航に関するお話は、こちらもどうぞ♪
~世直し江川大明神??~
江川太郎左衛門の詳細♪
歴史に残る
の本名【英龍】(ひでたつ)
35歳の時に代官を世襲し、その後
伊豆や甲斐などを治めました
村人や貧しい人々を助け、様々な良い
政策を行ってきた事から
世間から
世直し江川大明神様~!!と敬われたと
(゚д゚)!
勉学にも優れており、軍事改革など
その必要性を幕府に強く訴え
外国との関りを警戒する海岸防備に
力を入れるようになったので
以後、その責任者に任命されたと‥
ご存知の方も多いと思いますが、東京お台場の
名前の由来は
太郎左衛門が幕府の命令により、この場に
大砲台建設を任された事から名づいたもの♪
ですが、
途中、日米和親条約が締結になった事から建設の必要がなくなり、現在に至っております(^^♪
※当初は、11基建設予定
その内、第3台場と第6台場が史跡に残され、第3台場が有名なお台場海浜公園になり、第6台場は海に浮かぶ緑の島…貴重な史跡として残されたのです♪(関係者のみ入島可)
まとめ
韮山は
反射炉だけが有名ではありません!
ここで生まれ育った人物は
860年経った今でも、語り継がれる
有名で重要な人物ばかり
江川太郎左衛門については、反射炉が
完成する前に残念乍ら病で亡くなったため
息子の英敏(ひでとし)に引き継がれ
三年後に完成しました
更に、太郎左衛門(英龍)は江戸で砲術
の指南をしてたのですが、その門下生
が…
佐久間象山、橋本佐内、桂小五郎
黒田清隆、大山巌(いわお)など
一度は聞いた事のある、幕末から明治
にかけて活躍した有名な人材ばかり‼
まさに天才的…
多彩な人物だったのですね♪
英龍!カッコイイ~♥
2022年の大河ドラマ【鎌倉殿の13人】
真田丸以来、ホント面白かった~!!
出来れば、今後の大河ドラマも
さんにお願いした~い⁉